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発達障害を個性だとするのは欺瞞だと思う。

よく発達障害の症状をその人の個性なんです、という発達障害の親がいるんだが、明らかに欺瞞だと思う。発達障害の人間が本人から個性だとか言い張っているのをあまり見たことがない。言っていたとしたら、それは世の中を見れていないあまちゃんか、社会に出て苦労をしていないお子ちゃまだとしか思えない。

わざわざ発達障害の症状をさも利点のように言わんばかりだけれど、どう考えたって欠点でしかない。本人がそういうふうに受け入れるのは勝手だけれども、他人に押し付けるものでは決してないし、どう考えたって社会が反対の意味で捉えることは無理だ。確かに他はダメでも一部の分野で非常にできる人はいるけれども、そういうケースは稀で他の人の同じように当てはめるのは無理がある。

だって近視の人で、それが個性なんです、ってわざわざ言う人がいるかって話です。裸眼で遠くが見えないのは明らかにハンディキャップだし、だからと言って殊更に問題があると言われたりは普通しない。結局、眼鏡などで矯正できるから問題とされない訳だが、発達障害がそれを矯正するには一本道で直す方法はない。

問題なのは仕事に入って、努力をしないポンコツと発達障害の症状で仕事ができないのが同じと見られてしまうところだ。努力してもダメなのを当然ながら評価されないわけで、そこを理解してもらうということが大事なのではないかと思う。本人が苦手を避けたり、得意なことをやることはやるべきこととして、発達障害で普通にできないことがあることを理解してもらうことは大事だと思う。

それは個性だからとかそういう言い方じゃなくて、できないことは仕方ないから他のことで頑張ってねということで、ダメなもんはダメだから受け入れてもらうというところなんじゃないかと。それもなかなか難しいとは思うんだけど、配慮は障害者などと同じようにしてもらうと嬉しいんだろうな。でも、障害者でも悪い意味で同じように仕事ができると見られて、合理的配慮されないことも普通にあるし、配慮という言葉でまともに仕事があてがわれないこともあったりするんだよな。

なんにしても、発達障害の症状は個性というのは言い過ぎです。できればそんな症状はない方がいいし、受け入れることが難しいのはわかるけど、社会的にはハンディキャップは欠点でしかあり得ません。だから周りがどんだけ受け入れてくれるかってことに尽きると思います。

社会に適応させたくないというなら、働かなくてもきちんと生きていくだけのお金やサービスを与えるべきだし、そうせず自立させるというのが日本の方針であるはずです。でも、世の中的には自立させずに家族がある場合は、家族に背負わせる方向性にあるようです。

北欧は人口が少ないから、徹底的に使える人間は使うという政策をとっていることが多いので、障害者でも生きやすくはなっていると思います。日本は形だけ仕組みを整えるフリをして、実際の実績は個人次第のところがあると思います。日本は社会主義的な政策をとっていると言われますが、それは社会全体のことを言っているのであって、障害者には今世紀に入ると特にかなりしょっぱい政策になっています。

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