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高校の時の友達とお花見をした

高校の時のお友達とコロナ禍以来でお花見をしてきました。あまり人が多いところは統合失調症的には良くないのだけれど、一年に一回ぐらいしか会えないから力を振り絞っていってきました。

 
友達はバスオタなのでマイナー路線を乗りたいと言っていましたが、行く場所がわからないので乗れませんでした。でも結局そのバスが行先の近くを通っていたため、乗ればよかったじゃんってことになったんだけど、行く場所も適当に決めていたので仕方ないですね。

本牧山頂公園は桜の名所のひとつであったわけだけれども、皆とは逆側から来たらしく着いた最初は人が少なかった。真ん中に行って混んでいると嫌なので、端っこの方で花見を済ませたのだけれど、それでも見事に咲いていた。帰りはサイゼリヤに行って話を続けたのだけれど、コロナ禍の中結婚した友達はお小遣い月1.5万円で何とかしているらしい。今時1.5万円で何ができるんだろう。昼めし食って終わりだよな。

本牧山頂公園に行くまでに緑ヶ丘高校があったのだけれど、昔は柏陽より偏差値が上だったような気がしたが、ググって見たら柏陽の下になっていた。自分の高校はもはや名前としては存在していないし、もう30年以上も経つといろいろと変わるもんだなと思わざるを得なかった。まだ学校の新学期は始まっていないかもしれないが、吹部は練習に励んでいて金管楽器の音か何かが外まで聞こえていた。

今年は桜が遅くて、もう咲き終わっているかもしれないと設定した日に満開に近い状態であった。自然の流れというものは読めないよな。そもそもソメイヨシノってすべてクローンだから個体ごとにずれることも少ないのだけれど、それだけに気候の変動で全体的に一気に開花時期がずれるので困ったものだ。バラバラと散発的に咲けばあたりを引きにくいけど、大きな外れも少なくなるので本来の自然の姿に戻るべきなんじゃないかとも思うんだよねぇ。

わざわざ名所(というか有名どころ)まで行ったのだけれど、家の近くの公園の桜が毎年のように良く咲いていて、別に遠出しなくてもいいんじゃないかと思わなくもなかったが、どこか外に出て友達とお花見して話をするのが目的なので、みんなが集まりやすい場所とか名所がいいと思っています。とはいえ、年々集まる人は減っていって、なかなか集まれないのが実態です。

大学行ったか行かないかわからなくて音信不通になったやつとか、宗教がらみで家のごたごたに巻き込まれて去っていった人やら、最初からそれほど前向きじゃなくてコロナ禍を境に出なくなってしまった友人はいました。来ていた友達とも話したんだけど、友達とかは積極的に作ろうとしたり維持したりしないとあっという間にいなくなる、ということでした。高校の時は同じ勉強のために馴れ合いでつるんでいたわけだけれども、高校といういつも一緒に合う場所がなくなってしまうと、特別な場所を設けないとつらい。

自分も仕事で仲良くなった人はいたんだけれども、結局連絡とらずに離れて行ってしまったものね。そもそも常駐先が遠かったのでお互いに住んでいるところが遠いのもあって、仕事の時に会った時に飲むくらいでそれ以来特にないというのもすべてであった。

やはり仕事で出会った人と長いこと交信するには積極的にいかないとダメだし、待っているようでは友達なんて離れて行ってしまうものなんですよね。まぁ当方が性格がとても良いというわけでもないので、自分からいかないとダメなのはわかっているはずなんだけど、そこまで労力をかけてという気持ちになっちゃう時点でダメなんじゃないかと思ってしまいます。

学生の時の友達は稀有なものではあるし、仕事で出会う人にしても学生の時ほどの友達になることって少ないんだと思う。友達がいなくとも結婚した家族で十分だと思う人もいるかもしれないけど、いた方が心の支えになることもいずれあるわけで、打算的に言うと担保になるわけだから重要ではある。結婚も時期やタイミングを外すと大変なのだろうが、友達作りもなかなか大変なことであるとは思う。

嫁さんから友達が少ないと言われた友人は、僕と同じく積極性が乏しいのでそのところは厳しい現実になっています。たくさん友達がいればいいというわけではないんだけど、多少はいた方がいろいろ楽しいというのはあると思います。友人は得難いものだと年を食ってからとみに思います。昔の人だと地域のコミュニティでなあなあしていることはあったのだけれど、今ではそういう付き合いもなくなってきているしなぁ。


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