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希死念慮

死にたいと思う気持ちを抱くことを希死念慮と言うらしいのだが、自分みたいに病気で死にたいと思うのは自殺願望というのかもしれない。

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まぁ障害年金を受給するぐらいの精神障害だと、死にたいと思うのは当たり前とも言えるけれど、頑張って生きている人も多いのでひとり死んじゃうのも親に悪いなと思ったりしている。親が死ねとか言わない限りは生きているとは思う。

親もそこまで酷くはないので、若い頃はこちらから死んじゃえというような意味のことを言ったり思ったりすることはあっても、親からはそう思われることはないんじゃないかとは思う。そこは自分の親はまともなので助かってはいる。まぁ親が見放して死んでしまえたら良かったのにと思うことは数多くあったわけだけど、積極的に死にたいと思う人はいないとは思うので、ある程度の歯止めとなってくれていたのはありがたい。

世の中は道義的責任において死ぬなとは言うけれども、具体的な助けというものは大してやってくれない。死にたい人に死ねというのは楽な解決方法ではあるのだが、たぶん自分が死ねと言われたくがないために、それを言う人はそれほどいない。まともな人間だったらネットだって言わない。

精神障害と希死念慮は近いところにある。やはり精神的に辛いところは自殺と近いところにある。少なくとも治る病気では逆に死にたくないと思うのが一般的だとは思うが、治る見込みがない病気については生きながらえることがそれほど容易ではないことが一般的で、状況が悪いと死んじゃったほうが楽だということも多いと思う。

幸いというか、とりあえずは親が比較的裕福な方なので、その恩恵を受けて生きてはいる。たぶんそれがなかったら死を選んでいただろうなということは言える。そこまで国や社会は助けてくれないし、良くて障害年金と足りない分を生活保護を支給してくれるくらいだ。確かに生活を助ける施設などがあるけれども、そういう場所に住んでいるところが近くなければ利用も難しい。

障害者に限らず、社会の弱者に対してはそれを励ますような仕組みが外国よりも少ない気がする。一応、困窮者に関しては社会保障が充実している国と言われているけれど、積極的に生きていこうと思うようになるかは別のような気がする。制度が心が暖まるような方向性がない。とりあえず、社会的に死ねとは言えないから生かしておくみたいな意図すら見える。

生きていたいと思うような社会ではないし、かと言ってアメリカのように自己責任を最大限に求めるような社会でもない。生きながらえる程度には生暖かいが、そこに価値を見いだせるようなものはごく個人的に社会保障とは別のところに求めるしかない。

ネットでは今は苦労していない人がことさらに自己責任を叫ぶことがあるが、自分が社会的に弱者に落ちるとは思わないのかね。そういう人に限って、弱者に落ちた時にことさらに多くのものを求めてくる気がしてならないのだけれど、実際はどういうのが多いのかな?

自分は病状が悪くなると死にたいという気持ちは強くなる。いつもそういう気持ちは少なからずは持っているのだが、それが強くなったりするというのが定常状態である。普通の人よりそれが偏っている程度なのだろうが、やはり病的と呼ばざるを得ない。今も辛さを抜け出せるなら死ぬのも悪くないと思えるほどは病んでいる。実際に死ぬかは別だし、死ぬとなるとそれなりにやる気(?)が必要なので、なかなかその閾値を超えることはない。というか、閾値を超えたら死んじゃう可能性は高いわけだが、今の所死んではいない。

誰かにかまってほしくて死にたいと思う人もいるのだろうけど、心底他人の干渉はいらなくてほっといてほしいと思う。人間として人との関わりを持ちたいと思う気持ちはないわけではないけれど、病気の種類として他人から受けるダメージのほうが大きいので、どちらかと言うと関わりを避けたい。なので、一回希死念慮が発動してしまうと重症になってしまう可能性が高いので残酷すぎる。

健常者でも生きていくことが大変だとは思うけど、障害者は生きていくこと以外のことをすることすらままならない。なので自分が強者であろうと、準社会的弱者であろうと、障害者を揶揄したり叩くのは下衆以外の何者でもないのでやめような。未来の弱者かもしれない自分との約束だ!

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